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苗先生の京都日記(その一)

日曜日、今日も小雨がしとしとと降っている。傘をさしてゆっくり歩きながら、雨に濡れた花たちを見に行った。ふと顔を上げると、山頂から山腹にかけて漂う雲と霧に自然と視線が引き寄せられた。


雲のかかる山の方へと歩いていくと、道中にいくつもの小さな驚きがあった。オシロイバナ(紫茉莉)がほのかな香りを放ち、落葉した老桜の梢には鳥の巣がしっかりと置かれている。朝顔の葉に伸びる小さな野花は朱色の唇のようで、初めて見るその姿に思わず心が和む。二匹の緑色のキリギリスは、のんびりと寝そべったり、脚を伸ばしたりしている。真っ赤なヒガンバナは雨粒をまといながら、草地の上で自由に咲き誇り燃えるよう。水辺に立つアオサギ、霞む遠山と水面の映り込みが一体となって、まるで仙境のような光景だった。


ついさっきまで、「只在此山中、雲深不知処」という詩のような世界を歩いている気がしていたが、雨が止むと、雲霧はまるで山野に遊ぶ羊たちが牧羊人に呼び戻されたかのように、山のくぼみにゆっくりと収まり、静かに横たわった。その瞬間、目の前に広がるのは、澄み切った「雲去りて山絵のごとし」の風景——。


ゴッホはこう言った。「もし人が本当に自然を愛しているなら、どこにいても美しさを見つけられる」。心から共感する。


2025年10月5日


 
 
 

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